音楽美学の歴史と発展

0音楽美学を明確に語っていた史伯の像
0音楽美学を明確に語っていた史伯の像

 中国は五千年あまりの歴史を有しており、「詩経」、「論語」、「呂氏春秋」など歴史的文献には、音楽に関する文献が多々残っている。それらの文献では、中国の音楽美学がどのように発展してきたのか書かれている。

 

 音楽を美意識でとらえ始めたのは、西周(紀元前11世紀)頃である。当時、西周の統治者周公が、音楽は政権を安定させる力があると考え、「礼楽」を教科書として使用し、音楽教育を充実させていた。

 

 西周時代における音楽美学思想は「和」と「同」を強調していた。周の大臣史伯が「和実生物、同則不継」一言で当時の思想を表した。

 

 その意味は、音楽の魅力は、音の高さ、音色やリズムと言った音楽要素が常に発展・変化しているところにある。もし似たような方法で音楽を表現し続けたら、価値のある音楽は生み出せなくなる。すなわち「声一無聴」、同一な音は誰も聞いてくれないということだ。


 この観点は、中国音楽美学史の中で、大きな影響を及ぼしている。紀元前251年以後、斉国の大臣はこの思想を更に発展させ、音楽と社会の調和を主張した。

 

 現在において、このような考えは変わっていないと思う。例えば、トランペットの弱音器をつけて吹いたり、ピアノの弦を指で押さえて弾いたり、人々は常に新しい演奏方法や音色を探し続けている。

 

孔子だよ♪
孔子だよ♪

 

 春秋戦国時代では、五百年の乱世が続き、文化が失われ、学術も低下していた。学者たちが激しい論戦を繰り返し、思想や観点を主張する諸子百家が形成した。諸子百家の中で、儒家を初めとする「音楽重視説」と墨家「非音楽説」、二つの観点に分かれた。

まず、孔子を始祖とする儒家の音楽美学思想を見てみよう。

 

 孔子を初めとする、儒家思想の核心は「仁」である。「仁」は、人と人の間で築く理想的な社会関係と倫理道徳を指している。儒家思想では、音楽はなくてはならない存在だと主張した。孔子が西周の礼楽制度を推賞し、音楽が政治面や教育面から人に与える影響の大きさに認識した。自分が設立した学堂では、ニ番目大切な科目として弟子に教えていたという。

 

 一方、それに反対する学派墨家では、乱世の中では音楽を禁止すべきだと主張した。墨家の「非音楽説」の出発点は、音楽を楽しむ貴族を批判し、貧富の差を無くすことであったが、次第に極端的に音楽を否定することになり、他の学派から批判を受けた。

 

 その後、儒家は中国の中心的思想であり続け、中国の周辺国家にも大きな影響を与えた。日本も儒家の思想を取り入れたと思われるので、今後儒家の音楽美学思想はどのように日本に影響を与えたのかを調べる予定。


 

 

白居易の遺跡
白居易の遺跡

 春秋戦国時代以後、儒家が中国の中心的な思想であり続けていた。儒家学派の「楽論」で主張した「音楽は人々の思想や社会環境に対して目に見えない感化作用を及ぼしている。」に対し、詩人白居易を代表として賛成の意見と、思想家嵇康(ジーコー)の「音には哀楽が無い」という反対の意見に分かれた。


 

まず、賛成派の意見を見てみよう。

 

 

 白居易は唐代著名な詩人であり、音楽評論家でもある。白氏が考える音楽として、音楽は現実と政治を反映し、政治の善し悪しは民衆の感情を左右する。従って、民衆の睦まじく楽しみと哀しみ感情が生まれ、民間音楽の基調となる。

 

 また、楽器は音を出す道具に過ぎず、楽曲はただ音楽の思考を具体的に表現する方法であると述べた。音楽の善し悪しは、楽器やどの時代の音楽と直接関係していない。音楽を改善することは、楽器を改善するのではなく、根本的に政治を改善すべきだと唱えた。この点においては、儒家の音楽教育作用を継承している。

 

 しかし、白居易の音楽美学が当時の封建制度を擁護していたため、全ての問題を統治階級の視点からとらえる傾向があった。また、極端の復古派思想を反対する一方、極力古楽を崇拝している矛盾な所もあった。

 

 

声無哀楽論-思想を唱えた嵇康
声無哀楽論-思想を唱えた嵇康

 儒家思想に反対する意見として、嵇氏は「元々の音・音楽は客観的なモノであり、哀しい感情は人々主観的な感銘である」と主張した。

 

 嵇康が書いた「声無哀楽論」では、儒家を例える「秦客」と自分を例える「東野主人」、二つのキャラクターがあり、Q&Aの形で儒家の思想を反論していく。

 

 儒家の音楽教育作用に対し、人々の感性が違うため、音楽に対する理解も異なる。それゆえに音楽で呼び起こす感情も違う。良い音楽は好まれるが、「風俗習慣を改める」という教育作用はないと述べた。

 

 また、儒家学派で考えた「乱世の音」や「亡国の音」という考えに対し、音楽を無理矢理に政治と結び付き、音楽の芸術性を無視することを批判した。しかし、民間音楽をコントロールすべきだという視点においては、儒家の思想に影響されていたことは否定できない。


 白居易と嵇康の「声無哀楽論」は、漢(紀元前206〜紀元220)から唐(紀元618〜907)年まで、主な音楽美学とも言えよう。これらの思想は、近代の中国音楽に大きな影響を与えていた。日本は遣唐使を破棄するまで、中国の音楽美学思想に対し、どのような意見を持っていたのでしょう。