留学ブームと西洋音楽応用の始まり

 1894年に始まった日清戦争で、中国が敗北し大きな衝撃を受けた。科挙の改革や新たな制定を求め、外国に出て文化を吸収しようとする思潮が起こり、留学ブームが始まった。留学生の中には、芸術を学んだ者もいた。中国で最初の音楽教育に着手することになったのは、日本で音楽を勉強した人々だと言われている。

 

 中国の領土をそれ以上帝国主義に分割されないように、中国民衆が積極的に資産階級的民主主義文化を教育に取り入れ、国力を強化しようとした。その思想に沿って、1905年科挙が廃止され、西洋の科学文化を中心に学堂における教育がますます盛んできた。

 

 日本に留学していた、上海の商人の家庭に生まれたシン・シンコウ(沈心工)は、留学生仲間に呼びかけて音楽講習会を組織して、日本で学んだ西洋音楽を中国の歌に取り組んだ。沈心工が作った学堂楽歌は中国人が西洋音階を用いて作った初めての歌であった。その後、愛国・反帝国主義を主題とした学校唱歌が大量に作曲された。

 

 1906年、沈をはじめ、中国人留学生によって「風潮」という音楽雑誌が出版された。雑誌の内容は、日本語から中国語に訳された西洋音楽の知識であった。西洋音楽の専門知識が手に入るようになった事で、西洋音階に慣れるための学堂楽歌から、本場欧州の西洋音楽の真髄に追求することに変わって行く。