「文化大革命」時期の音楽

語録歌曲集
語録歌曲集

 中国独特な伝統音楽を重視しながら、西洋音楽の影響を受け発展してきた。1949年中国は共産党によって建国され、海外との文化交流がもっと活発になるところだったが、中国近代史において、主要な文化の破壊と経済活動の停滞をもたらした「文化大革命」が爆発した。


 文化大革命の十年間は主に三つの段階に分けられる。

 

 文化大革命の第一段階、1966〜1972年では「語録歌」が歌われていた。「語録歌」とは、「毛沢東語録」を歌詞にした曲の事である。語録はスローガンとして書かれ、芸術的に取られる所はほとんどないが、政治的な目的を果たすために、無理矢理に歌詞として使われていた。そして、「語録歌」から、紅衛兵の戦歌が大量に生まれ、毛沢東を偶像として崇拝する運動が続いた。

 

 従い、外国と音楽交流をしている機関や人物は、もちろん文化大革命で叩かれる対象となった。中国各省の音楽家協会が強制的に活動中止させられ、音楽院の主要幹部、有名な作曲家、作詞家などひどく批判をされ、多くの知識人は命を落とした。毛沢東語録と紅衛兵の歌曲以外の作品は、ほとんど消されてしまい、多く音楽文化が破壊された。(*紅衛兵:中学生から大学生を中心とした運動組織)

 

 第二段階の1972〜1975年、「老三届」と呼ばれた青年を歌う叙情的歌曲が人気を得ていた。「老三届」は中学・高校を卒業する予定であったが、文化革命のため卒業が延期された若者を指す。歌曲に漂う故郷を離れざるを得ない悲しさと将来の見通しがつかない感情が、のちに中国北方音楽創作にも大きな影響を与えた。

 

 ここで、ちょっと個人的な話。「山丹丹花开红艳艳」という中国の民謡によるピアノ編曲を先生の前で弾いてみた。この曲は、まさに文化大革命の時期この時期に作曲された作品である。中国北方の民族的特徴があり、リズム感強く、色の濃い民族歌曲だが、なぜか穏やかで哀しみに感じる所がある。歴史を振り返ってみると、「老三届」のような背景があったからこそ、このような作品が生まれたと実感した。

 

 最後の段階1975〜1976年、十年近く音楽文化を破壊し続け、文化大革命の中期までは、まだ佳作が生まれていたが、政治の功利が日増しに大きくなるに連れ、遂に歌曲創作が絶体絶命に瀕した。文化大革命が終わり、余韻にように「傷痕文学」のような作品が何年間主流となったが、次第に改革開放政策による新しい音楽創作が始まった。

 

 改革開放政策が実施してから、香港・台湾の音楽が中国に流れ込み、音楽活動が再び起動した。1949年中国建国の際に、音楽活動が制限される事を恐れ、多くの音楽家が香港や海外に移住し、音楽中心地を上海から香港に変わった事を思えば、時代の流れや国の政策と音楽の発展いかに密着しているのをしみじみ感じる。