李香蘭と「夜来香」

 第二回「国境を越えよう」日中友好コンサートの準備にあたり、19世紀から20世紀の50年代の間、日本と中国で歌われていた曲について調べてみました。

 

 今や海外と音楽を共同に制作することが珍しいことではないが、20世紀の初頭という世界的な紛争が絶えない時代では、決して容易なことではありませんでした。今回は、日本と中国で活躍していた「李香蘭」(日本名:山口淑子)と国境を越えるエピソードを紹介します。

 

 「李香蘭」は旧満州国(現在の中国東北部)に生まれた日本人で、当時日本人である事を公開せず中国人スターとして活躍していました。本人が著作した『戦争と平和の歌』では、ご自身の事を“五族協和の一役を買ってしまった”というふうに書いてありました。二つの国を愛しながら、自分のアイデンティティに葛藤していました。女優としても歌手としても爆発的な人気でしが、第二次世界大戦の終焉とともに、中国の活動を終え日本に帰国しました。

大光明大戯院
大光明大戯院

 1945年5月—戦争の真最中、李香蘭は上海の大光明大戯院で、中国最後の公演「夜来香ラプソディー」を行いました。中国人作曲家の黎錦光が書いた代表曲「夜来香」に基づき、日本人の作曲家服部良一氏がアレンジを加え、当時東洋一と言われる外国人メンバーで構成されている上海交響楽団の伴奏で、三日間の公演を行ったそうです。人々は戦争中であることを忘れ、音楽に熱狂していました。公演の三ヵ月後、日本の降伏により戦争が終わりました。このような混沌とした時代の中で、まさに国境を越えた歴史に残る公演でした。

 

 私は生まれも育ちも上海だったため、上海で大ヒットした「夜来香」や「蘇州夜曲」など小さい頃からよく聞いています。なんで半世紀以上経っても、色褪せないだろうと不思議に思いました。今となって、自分の祖母世代の人々が大光明大戯院を通る時に、なぜか懐かしそうに眺める理由が少し分かった気がします。ちなみに、服部良一氏は、ドラマ半沢直樹のテーマ音楽を作曲した服部隆之の祖父にあたる人物です。

 

 李香蘭のことは、まだまだ知らない事がばかりだが、大スターとして輝かしい日々を送ることもあれば、人よりも苦悩を経験したこともあります。しかし、純粋の気持ちを忘れず、時代の流れに弄ばれることなく、ただ一人の人間として平和を願っていると感じました。6月の「国境を越えよう」コンサートでは、李香蘭のヒット曲を演奏できるのを楽しみです。

 

 

参考文献:

『戦争と平和の歌』(1993年東京新聞出版局)

『李香蘭』を生きて(2004年日本経済新聞)