40年前の中国ポップスを振り返って

今年は日中国交正常化40周年、今まで築いてきた友好関係を維持し、交流を深める記念すべき年なのですが、色々な問題で両国関係が緊迫している。40年前に、両国が手を結んだ年、中国でどんな音楽があったのであろう。中国大陸、台湾、香港に分けてみてみたいと思う。


以前に書いた『文化大革命時期の音楽』で一度触れたことがあるが、1966年から1976年の十年間中国で「文化大革命」が起き、中国大陸の音楽が規制されていた。文化大革命の半ば、地方を援助するために故郷を離れた若者を思い、哀愁の漂う歌曲がたくさん作られていた。1972年国交正常化の年では、日中の間で音楽における交流はほとんどなかったが、1978年、改革開放政策の開始と共に、日中の音楽交流が一気に盛んできた。


その頃、台湾でどんな音楽が流行っていたのだろう。1971年の国際連合総会で「国府追放、北京政府招請」案が可決され、「中華民国」が国連から除名された。除名されたことによって、「台湾」として国際社会における地位ががた落ちになり、一連の国交断絶に繋がった。それをきっかけに、台湾住民は再び自分の文化や音楽に注目するようになり、洋楽志向だった台湾音楽は本土の作品に移り変わっていた。70年代の後半、キャンパスフォークという新しいジャンルが作り上げられ、中国大陸でもフォークソング熱が巻き起こされた。


香港では、50年代から急速な経済発展を遂げ、20年間の発展を経て世界的金融中心となった。国際交流が増えるにつれ、香港の音楽業界においても交流が盛んで、70年代には国際的な音楽都市になりつつあった。また、海外音楽との交流だけではなく、広東語のドラマや映画の影響を受け、広東語歌曲が注目されるようになった。中国大陸の人々も香港の歌に高い関心を持ち、街中で口ずさんでいる人が多かったそうだ。従って、広東語は話せないが、広東語の歌は歌えるという現象が起きた。何年前に、日本語は話せないけど、ガンダムの曲は歌える私と同じだ。


日中国交40周年とあまり関係のない話しをしましたが、改めて音楽は国情や時代の流れと共に発展していると感じた。『音楽は国境が無い』、『音楽は世界共通の言葉』、そして音楽と平和は良く一つのテーマとして出てきます。しかし、国と国の関係で、どうしても文化・音楽の交流に影響を与えてしまう。様々な事情で音楽イベントをキャンセルせざるを得ない。(一員の音楽愛好家として「そんな事ゼッタイいや〜!」です)


たまたま、日本の歌を歌う外国人を紹介するようなテレビ番組表を見て思ったのは、日本人で中国のポップスが上手に歌う人がたくさんいて、中国でも日本の歌が大好きで上手に歌う人がたくさんいる。そのような記事がまったく報道されなく、民間感情を爆発させるようなニュースしか世の中に流れていないのは本当に残念。一刻も早く日中の友好が回復することを願っている。